こんにちは
以前も、『あと少しもう少し』『強運の持ち主』など瀬尾まいこさんの小説を紹介してきました。
今回は、本屋大賞を受賞された『そしてバトンはわたされた』を読んでみました。
『そしてバトンは渡された』のあらすじ
母親に先立たれた<優子>は、その後実の父親 <水戸さん>が海外に引っ越すことをきっかけに、その後妻の<梨花さん> と暮らす様になる。
更に、<梨花さん>が<水戸さん>と離婚することで、その再婚相手の<泉ケ原のおじさん>と暮らす。 その後<梨花さん>が再々婚することで<森宮さん>と生活する。
さまざまな、血のつながらない親と暮らしつつ、優子は真っ直ぐに成長し結婚するまでを描いた物語。
『そしてバトンは渡された』の特徴
血のつながらないさまざまな親との生活の中で、嫌な思いや、辛い出来事を経験する中で、成長する主人公を描く小説家と思って読み進めました。
しかし、実際は<梨花さん>も、<泉ケ原のおじさん>も、<森宮さん>も驚くほど良い人で、心から<優子>のことを思っています。
普通の血の繋がった親よりもむしろ仲の良い親子関係が築かれています。
瀬尾まいこさんは、どうしての様な設定にしたのでしょうか?何が伝えたかったのでしょうか?
私の解釈
この小説の主題は何でしょうか?
家族関係において、血のつながりとは何なのか?ということだと思いました。
家族とはどういうものか、血のつながりがあれば意識することは少ないし、必要も無いかもしれません。
しかし、血のつながりが無い場合には、この小説とは逆に、むしろ寂しい思いをする子供が多いのではないでしょうか。
血のつながらない<梨花さん>、<泉ケ原のおじさん>、<森宮さん>は全て<優子>に対してかなり優しい形で描かれています。
普通は、血のつながっている親子であれば、口も聞きたくなかったり、喧嘩したり、異春期の娘であれば特に父親に嫌悪感を持ったりするもですが、そうしたものは描かれてません。
それは多分、血のつながりが無い分、親子になろうと努力するからだと思います。
そこに何か不自然なものが生まれるのだと思います。
親になった人が、今回の設定の様に、子供のことを考えて、尽くそうとする場合でも、やはりそこにどうしても違和感は出てくるものだと感じました。

瀬尾まいこさんは何が言いたかったのか?
これが家族でなかったどうでしょうか?
例えば<優子>は仲の良い友達と険悪になって、孤立してしまいます。<優子>はどうしたか?結局は何もせず、無視されても淡々と学生生活を続けます。
結局は、自然に状況が変わって、元の状態に戻ります。
逆に、縁がない人なら、自然に疎遠になっておしまいで、それはそれで問題ないでしょう。
最終的に結婚をする、早瀬くんとも自然と再開し結ばれてゆきます。
逆に、付き合っている恋人でも、最終的に縁がなければ別れてゆきます。
人間関係すべて自然なあるべき状態、姿におさまってゆくことが多いと思います。
家族の場合も、やっぱり相性の良し悪しはあるでしょう。
険悪になっても、血のつながりがあれば、なんとか関係は続けてゆけるものでしょう。
しかし、血のつながりが無くて、親子になった場合、やはりある程度の努力が必要になってくるでしょう。
だから家族において、血のつながりが無い場合、違和感はどうしても存在するのだと思います。
しかし、それは十分に克服されるし、親も子も成長して行ける、良い関係が得られるのだと前向きに捉えました。
そんな、血の繋がりのない家族の、どうしても避けがたい違和感、それを乗り越えてゆく姿を捉えた作品だと思いました。
感想
私の場合は、そうした生い立ちではありませんが、結婚生活を送れば必ず血のつながらない人と家族関係を結ぶことになります。
そこで生じる、微妙な心理の機微を乗り越えて、すこしずつ関係を良いものにしてゆく努力は、みんな少しずつしているものだと思います。
参考になるというよりは、癒されたり、ホットする部分は強いと思いました。
読みやすい文体ですし、読後感も良く、おすすめです。