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色川武大さんの[うらおもて人生録] 、実は子育て世代にお勧め

2021年6月24日


こんにちは。

色川武大さんは、阿佐田哲也のペンネームで書かれた『麻雀放浪記』があまりにも有名。

色川さんの若い人向けに書かれた うらおもて人生録を読みました。

色川さんが丁度、いまの私と同じ50歳代の時に書かれてますので、興味深く読みました。

 

色川武大さんの経歴

1929年(昭和4年) 〜 1989年(平成元年)

60歳で亡くなって、もう亡くなって30年以上になる。

父親は40代の若さで退役した海軍大佐で、武大は父が44歳のときに初めて生まれた長男であった。父は何も仕事をせず、常に自宅におり、家族は軍人恩給で生活して、98歳の長命を保った。

祖父も文部官僚、分家筋に衆院議員も居た様なので、育ちは決して悪くなかったはずでる。

しかし武大は学校生活になじめず、小学生時代から学校をサボって浅草興行街に出入りし、映画や寄席、喜劇などに熱中する。

太平洋戦争中に中学時代を過ごす。

ガリ版同人誌を密かに発行していたことが露見し、無期停学処分を受け、無期停学処分のまま終戦を迎える。

停学中だったために進級も転校もできず、結果的に中学を中退。

父親の恩給も止まったため、街頭の立ち売り、博徒などの職を転々とし、アウトローの生活へ身を投じる。

この頃ギャンブルに没頭。

バクチ修行をしサイコロ博打や麻雀の腕を磨く。稼いだ時は上宿へ泊まり、文無しになった際は野宿をする生活をおくった。

結局は、文筆活動をすこしずつ初めて、1953年 24歳の頃に桃園書房に入社して編集者となりアウトローの世界からは身を引いた。

1955年(昭和30年)に桃園書房をクビになり、以降、生活のために娯楽小説を書く。

1969年(昭和44年)に、『麻雀放浪記』シリーズで若い読者の圧倒的人気を得て脚光を浴びた.

麻雀ブームの火付け役となる。

その後、麻雀小説を多数執筆した。

麻雀を文化的に広めた功績で「雀聖」と呼ばれるまでになった。

参照:  Wikipedia

うらおもて人生録

決して環境的に恵まれなかった訳では無いようだが、アウトローの道を進んだ色川武大のエッセー集です。

私と同じ、50歳代での作品です。

幼い頃から始まって、時系列で話が進んでゆきます。

アウトローの自分がこれまで生きてきたなかで得たセオリーを伝えたいというのが、本書の核となっています。

特にクラスで上から十番目以下のような子たちと、その親御さんに是非読んで欲しかったと書かれてます。

言いたかったことを私なりのにまとめました。

愛が大事

当たり前の様ですが、特に幼少期に無償の愛情を受けることが大切と説いてます。

愛情を浴びることで、肌で人を愛することを知ることができる。

色川さんは、父親から溺愛されて育ったことで、その後人を愛することもできる様になったと実感されていた様です。

こればかりは、子供に選択権は無い。

母親に読んで欲しいと言うのはここから来ていると思う。

親が子を、大人が息子を愛するなんてことは、無償の行為に近いものだからね。
愛されるうちに、肌で愛することを、無償の行為というものを覚えるんだな。
そうやって何代も、リレーで幼児を愛していって、積み重ねていかないと、人を愛することの素養が蓄えられていかないみたいだね。

名言でしょう。

人間には理屈では変えられない部分がある

10代より、もっと前に子供が沢山の生き物に接して、それぞれの生き物が様々な思いを抱いて生きていることをひとりでに感じとる様に、親御さんは気にかけてください。

と述べている。

なぜか?

他の生き物に接すると、自分の方が自由に動けたり、言葉が出たりするので自然と優位性を感じる。

すると、自分が親しんだ対象よりも自分が優位でいることがむず痒かったり、バツが悪い様な感情が湧いてくる。

そして、その対象への自分の対応、姿勢ができてくる。

いろんな対象にそれを繰り返すことが、文化である。

そこが無意識にできていると、大人になると、今度は自分より大きなものに対する姿勢も生まれてくる。

これはら、理屈ではない。

体の中に自然と溜まっている知識なのだという。

そこは人間の裏生地であり、それが欠けたまま大人になった人は、何を行っても伝わらない。

いろいろな対象に対する、適切な対応、感情表現などができない大人になってしまうということだろう。

人生の評価基準は一つだけでは無い

色川さんは、学校の成績は最下位だった様だが、巷の雑学に強いという圧倒的な取り得があった。

喧嘩の強さ、耐久力、社交性、統率力、活力などなど いろんな評価基準がある。

更に長所の裏に短所があったりもする。

勉強の成績という一つの物差しだけで人生は乗り越えられるものではない。

プロはフォームの世界

これは、博打の世界で揉まれた経験からでたことばであろう。

プロの博打打ちは、1、2年良くても話にならない。

一生それで食べてゆかなければならない。

よって、プロはセオリーを理解して、持続的に勝ち続けるにはどうしたら良いか考えなければならない。

一度に大勝ちする必要は無い。

フォームとは、それを守っていれば、大崩れしないという核の様なもので、自分ので築き上げなければならない。

これは、博打打ちだけのことでなく、我々普通のサラリーマンの仕事にも通ずる。

それを生業にするならば、大きな成功よりも、大きな失敗がない様、型を守って持続的に成果が出る様にするべきである。

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運は結局ゼロ

これも博打の経験から出た言葉だろう。

運は結局ゼロに転ずるから、良いことが続いても有頂天にならず、負けが込んでも悲観しない。

実力はコンスタントにたたかえるところであり、運は参考にすべだが、実力を磨いて利益を上げてゆかなければならないということだろう。

運で利益をあげようとしないことが肝心と、私は受け取りました。

優等生に対するメッセージ

うらおもて人生録は、基本的に劣等生にむけて書かれているが、優等生に対するメッセージもある。

負け慣れてないのが、優等生の弱みである。

いつか負けることはある。

その時の受け身が上手くできなくて、大怪我をしない様に。

小さく負けてみたらと アドバイスしている。

全勝意識で硬直しない様に。

勝ったり負けたりが人生ですよとのメッセージ。

物事は、進化しながら滅びる

これも、私の様なサラリーマンではなかなか思いつかない名言でしょう。

たとえば、演劇→映画→テレビ→ネット という娯楽の流れがある。

演劇は何も、それ自体に問題があって衰退した訳ではない。

演劇自体は、進化していたはずだが、テレビの出現で人はそちらに流れた。

テレビもどんどん良くなっているが、ネットの出現で人はそちらに流れている。

人間そのものもそうで、経験を積んで人間として成長はするが大体の人は100年以内で亡くなって、次世代に交代する。

物事が滅びるのは、失敗した時と思いがちだが、現実は圧倒的に成長しながら滅んでゆくのだ。

スケール勝ちが最高の勝ち方

スケールとは器量とも言い換えているが、器量とはは何か?

それは、大事なところでチャランポランになる能力と色川さんは言っています。

ふつう、ここ一番というチャンスを迎えた時には固くなったり、身構えたりします。

しかしそれだと、自分のそのときの限界まで見せてしまう。

大事なときに、チャランポランになれる能力とはどういうことか。

チャランポランというよりリラックスといった方がわかりやすいと色川さんは言ってます。

特に男の場合は、人生はたたかいの連続です。

戦いながらも、人を愛することもできるようになっておくべきということ。

人を愛することができないと、ちゃんとたたかうことができない。

実は、これが器量になる。

愛することと、たたかうこと、矛盾した二つのものを、混在させる力が器量と言っているのです。

結論

我々サラリーマンでは思いつかない様な教訓に溢れた名著だと思います。 特に若い人、子育て世代の親御さんにお勧め。

  • この記事を書いた人

bouzu-masa

50代 性格は内向的ですが、なんとかこの歳までサラリーマン生活を続けてます。経験をふまえて、同じ性格に悩む方に役立つ情報を発信します。趣味:読書、walking

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