こんにちは。
蛭子さんは先日、認知症を公表されました。
健康番組で偶然見つかった、軽度のものの様ですが、症状は少しあるようで奥様の介護も少し必要な様子です。
『夕方から晩にかけては混乱がはげしくなり、1人で入浴すると、髪を3回も4回も洗ってしまうことがあるようで、奥さんの介護が不可欠なときもあります。認知症の進行を遅らせるためにも、今後もできる範囲で仕事をしていきたいと蛭子本人も語っています。また周囲に認知症であることを理解してもらうことで、家族の負担が少しでも軽減できると思い、認知症であることをあえて公表しました』 2020/8/4 yahoo newsより
以前読んでいた蛭子能収さんの「ひとりぼっちを笑うな」を再度読みました。
蛭子さんの辿ってきた道のりと、奥様との繋がりもよくわかります。
是非、読んでいただきたく紹介します。
蛭子さんの生い立ち
長崎で漁業を営む両親のもと育った。
不良グループに使い走りや持参した弁当を日の丸弁当に無理矢理交換させられたり、濡れ衣を着せられたりの、かなりのいじめを受けていた。
長崎商業高等学校時代に美術部に入る。
高校卒業後に地元の看板店に就職。
看板店の同僚が主宰する漫画サークルに参加し、つげ義春『ねじ式』に感銘を受け、1970年に23歳で上京する。
上京後も看板屋に就職、その後ダスキンの販売員になる。
漫画をガロに持ち込み、1973年に『パチンコ』が入選しプロになるも、それで生活はできず。
漫画を諦めて長崎に帰ることも考えたが、ガロの初代編集長 長井勝一が蛭子の才能を惜しみ「単行本を出版して応援するから、あと一年頑張ってみて売れなかったら帰ればいい」と説得したという。
その後、1981年に初単行本である『地獄に堕ちた教師ども』が刊行されるのを機にダスキンを退社して漫画家として独立する。
1980年代になって、急速に人生が好転する。
漫画界で徐々に評価を上げてゆく。
漫画以外にも、芸能界に進出することに為す
蛭子さんの漫画に興味をもった、榎本明さんが、芝居のポスターを蛭子さんに依頼。
そのことが縁で、榎本さんの出演していた(笑ってる場合ですよ) に出演。
更にそれがきっかけでドラマにも出演する様になった。
以後は皆の知っている通りで、長くバラエティーで活躍されてます。
収入の多くはテレビ出演で、漫画も描いているが収入としてはタレント活動がほとんどの様です。
蛭子能収さんと私
蛭子能収さんを初めて知ったのは、教師びんびん物語IIに喫茶店のマスター役で出演していたのを見た時でした(1989年)。
はじめはすごい個性派の俳優さんかと思ってました。
この時蛭子さんは41歳、私は大学生のころのことです。
その後、宮沢りえの父親役として「いつも誰かに恋してるッ」にも出てました。
そうするうちに、「スーパーJOCKEY」でも見かける様になり、熱湯風呂にも入っていました。
何者かと思いましたが、あまり気にしてませんでした。
妙にずっとテレビで見かける、つまり消えない。
不思議な人だなという印象でしたが、その後有名な漫画家だということが判明。
その漫画も特徴的で、よく色んなところで見かける様になりました。
印象的だったのが、バラエティーでいつも笑っている。
決して怒らない、主張がないということでした。
その内、私の周りの、内気で、肥満体質な人が 蛭子さん と呼ばれる様になりました。
とにかく、大人しい割には、知名度はこの時期から半端なくなていたと思います。
日本中に 蛭子さん と呼ばれる人は沢山いたはずです。
「ひとりぼっちを笑うな」を読んだきっかけ
もともと、蛭子さんがどうしてテレビに出演し続けているのか不思議で、興味がありました。
私が20歳くらいの頃から、30年くらいはテレビに出つづけてます。
何か理由があるに違いないと思っていました。
そこに、素顔の蛭子さんを知ることができそうな本を本屋で見つけて、すぐに買いました。
「ひとりぼっちを笑うな」の内容 (蛭子さんの性格、生き方)
「ひとりぼっちを笑うな」は蛭子さんの生い立ちから、考え方、性格、生き方などをまとめた本と言えるでしょう。
その内容は以下の通り
内向的な人が好き
明るくワイワイ騒ぐ人より、ちょっと暗い感じのタイプを好む。
蛭子さん自身も内向的だが、付き合う人も内向的な人を選ぶ傾向がある。
目立ちたくない
子供の時にいじめられたためか、目立つことは嫌いと言ってます。
子供時代から、散髪で頭を綺麗に整えてもすぐにくしゃくしゃにしたり、新品の服や靴などもすぐに汚したりしていたそうです。
冷やかされたり、からかわれたりするのが嫌だった様です。
ギャンブル好き
競艇好きは有名。
その他、麻雀、パチンコ、カジノもするらしい。
しかしなぜか、競馬はしないと決めている。
余計なことをしない
余計なことをしなければ人に嫌われないと良く知っている。
自己主張しない
お金をもらって雇われているときは、なるべく自己主張せず、上手に使われる様にしている。
長くテレビに出られるのは、多分それが大きいと自己分析している。
いわゆる、使いやすい人になるということ。
この辺りが、テレビに長くで続けている要因だろうと、本の中で自己分析してます。
自由が一番大切
すべては自由であるために と言ってます
仕事は自由とお金を得る手段と割り切っている様です。
また、自分がやりたいことをすることが大事と思っている様です。
やらないといけないことでなく、やりたいことをするように意識する。
やらないといけないことをする人は、人に使われて終わる可能性が高い。
尊厳死に関しても持論があります。
寝たきりになって意識もないのに、人の世話になってまで生き続けたいと思わない。介護や看病されて過ごすのもまっぴらです。だって、自分が何より大切にしてきたのは自由だし、その自由を他人から奪ってまで長生きしたいと思わない。だから今の医学でも回復の見込みがない状態になったら延命措置をせず、その時を迎えます。
と述べてます。
つまり、自由にやりたいことができない様なら生きていても意味がないと思っているみたいです。
では、蛭子さんは何がしたいのでしょうか?
少なくともタレント業では無い。
タレント業は、生活のためと割り切っている様子。
その答えは、一人遊びだとこの本を読んで思いました。
一人遊びが好き
休日は細かく予定をたてるそうです。
朝8時には家を出て、競艇場に直行。
早朝の前売り舟券を買って、その後近くの映画館へ。
映画を見終わって、昼から夕方まで競艇三昧。
その後、麻雀に行ったり、再度映画をみる。
そういう一人でできる遊びが大好きで、そのために生きているとも感じられる書き方です。
漫画も一人でできて、蛭子さん向きで好きなのでしょうが、一人遊びが一番の様です。
一人が好きだけど、全く一人は耐えられない
矛盾する様ですが、この部分が一番この本を読んで印象的でした。
蛭子さんは、長年連れ添った奥さんを50歳すぎの頃亡くされてます。
一人が好きでしたが、それまで孤独は感じなかったと言ってます。
それは、子供の頃は両親、東京にでてからは奥さんが居て、拠り所があったからだと分析されてます。
一人が好きなのは、性格で変えようが無いが、まったく一人になると耐えられない。
奥さんが居なくなって、それに身を持って気づいた蛭子さんは、すぐに婚活を開始して今の奥さんと再婚されてます。
安心して、一人で居るためには、拠り所となる人が必要ということです。
矛盾する様ですが、私も一人を好む方ですので、この部分は共感できました。
自分に興味をもつ人が現れて、引き揚げてくれる
この本の中で、「節目節目で自分に興味をもつ人が現れて、引きあげてくれる」と語ってます
まずは、芸能界へのきっかけを作ってくれた榎本明さん
その他にも、みうらじゅん、水道橋博士、伊集院光 さんなど蛭子さんをおもしろおかしく紹介してくれる人が次々現れます。
なにより、漫画家を辞めることを踏みとどまらせてくれた ガロの初代編集者 長井勝一 さん。
初単行本である『地獄に堕ちた教師ども』の出版にかかわった、高杉弾さんと山崎春美さん。
その他にもたくさんの人が蛭子さんを引き上げる言動をします。
もちろん、蛭子さんが頼んだわけではありませんが、次々そうした人が現れます。
これが、才能のある人の特徴でしょうか。